それ、究極のドMでしょ?



SNSを開けば
そこにはポジティブ人間ばかり。


「死ぬ気でやればなんでもできる!」
「どんなことでも肯定的に捉える!」
「なににでも感謝!」
「毎日、happy!」
「今こそみんなで力を合わせよう!」
「いつでもポジティブに感謝!」


僕はこの人たちのことを
『隠れネガティブ』と読んでいる。



ポジティブなことを発信し続ければ
フォロワーも増えて、いいねも増えて、
共感を得ることは可能かもしれない。



でも
“この人たちいつかパンクするんじゃないか…?“

と本気で心配することがよくある。



特にこの傾向はトレーナーにも多い。



結構、僕の投稿って
ポジティブなようで実はネガティブな投稿が多い。
別に意識してるわけではない。



その時に思ったことはストーリーにあげ、
これは残して置きたい重要なことは記事投稿し、
すぐに質問に答えたい時はインスタライブ(最近やってないねー)



かなり素。
裏も表もない。
無理もしてない。
自慢はよくする。


かと言って、
他人の生き方や考え方もあるので
ポジティブをアピールが強い人を
悪く言うつもりはない。


ただ、
こういう人は実は、裏では

自分で自分を無意識的に縛って
苦しめてる究極のドMなんだろうなぁ
って思ってしまう。



いつもポジティブで前向きな発言をし、
周りの人までも、その人を

「すごくポジティブな人」
「幸せそうな人」

と認識をする。


キャラを作ってしまうと
それをやり続けないといけない。



ただ、
こういう人は隠れネガティブが多い。


だって、常に
〜しなきゃ!
〜やるぞ!
〜幸せだー!

って、超が付くほどネガティブな言動。


自分で自分をべき思考・〜しなきゃ思考で
縛りつけて、嫌なことや現実から目を背けて
「私、今日も幸せ〜」って言う。


SNSなんて特にその思考が強く。


そこに本当のネガティブのは御法度みたいな
空気感があり、
見えないネガティブは現実世界で
自分で処理しないといけない。


SNSでポジティブなことを載せるのは
実はクソネガティブな行動であるということ。


【臭いものに蓋をして、
 楽しく前向きに生きている“フリ‘’をする】

と、言っても過言ではない。


無理矢理臭いものに蓋をしているので
そのうち臭いものは漏れる。

それが溢れた時に
今まで見て見ぬ振りをしてきた
しっぺ返しがドバッとくる。


こういうタイプは
将来、精神的に病んだりして
鬱病になりやすい人が多い。 



僕が思う
本当の意味でのポジティブな人って

【臭いものもありだな!】

って認めている人。



・私にはできないこともたくさんあるし
・時間を無駄に考えてもよいし
・ここはポジティブに考えなくてもよいし
・感謝だけではなく、たまには痰を吐くような態度でもよいし
・ネガティブでも全然よい


つまり

ダメな自分・ダメなことも・許して受け入れる


っことを自分だけではなく、
人に対しても受け入れること。


臭いものに蓋をするのではなく、
臭いものと仲良くなって、触れ合って

「臭いお前もありだな!」
と認めることによって共存する。


そもそも“ポジティブになること“って


なんでも我慢したり、
自分を偽って人にアピールしたり、
ネガティブがバレないように切り取ったり、


本来そんな難しいことではなくて、
実はもっともっと自然な形だってこと。


ネガティブを認めることが
本当のポジティブを作る。

ネガティブを批判することは
決してポジティブではなく、
究極にドMネガティブな言動である。



トレーナーでもSNSではポジティブが多いけど
みんな裏では悩んでるし、
ネガティブな部分を持っている。


そこを隠さずに正直に言うことで
本当に理解してくれるフォロワーがつくよ。


いいね!やフォロワーのために
SNSやってるならば
まずは優先順位は自分のためにやること。


それがこの先、
本来あるべき形のSNSの
活用性と方向性ではないかなと考える。




誹謗中傷をなくすのには
自分の弱さを出すことも必要。

ポジティブな人に批判中傷が多いのは
ある意味、その人のネガティブを見たいという
願望かもしれない。