暗黒の日産自動車時代


14年前、新卒で入社した日産自動車。



僕、最初からトレーナーではなかった。



学生時代、
“高額なモノを売る仕事をしたい“


その想いから、就職活動は
自動車、マンション、宝石を売る会社に絞った。


結果、
内定を貰ったのは
日産自動車と2社の大手不動産会社。



その当時は
カルロス・ゴーンの経営手腕に憧れており、
迷うことなく日産自動車を選択した。



配属されたのは、
兵庫県内に約70店舗ほどある販売店で
常に1位か2位の売り上げ成績を持つ販売店舗。


上司や先輩の営業マンたちも
全員県内トップのトップセールスマン。


その中で、
法人を中心にディーラー職(販売)に就く。



研修を終えた初日から、

「今から法人に飛び込み訪問して、
担当者と50枚の名刺交換してくるまで、
 店に帰ってくるなよ!」

店長に言われる。





本当に最初から
“新卒なのか“ と思うぐらい働いた。




毎日誰よりも早く朝7時出社し、
毎日誰よりも遅い22時退社は当たり前。




朝は見積書や提案書、1日の計画書を作成。

夜は飛び込み営業から帰ってきたら、
明日、営業で周る地区をリサーチ、
日報の入力などの事務作業。


毎日、夜間銀行に売上金を預けて帰宅。



休みは水曜日のみ。
その休みの日でも新車の納車や車の引き取り、
保険書類でサインをもらいに行く日々。


営業で使うためキューブを購入。
1年で4万km走行(この凄さは車持ってる人なら分かるはず)


営業に出て、
1つも成果がなく帰社すれば、
店長から怒鳴られ、殴られるか蹴られる。
(今ならば間違いなくパワハラ)


基本的に1年目はショールームには
立たせてもらえない。
常に、外で飛び込み訪問。


ディーラーの仕事は
新車販売だけでなく、
車の査定や保険販売、
点検や車検、板金などの入庫の案内。



仕事はここでは書ききれないほど
かなりハード。



正直、1年目から他の会社の5年分以上の
経験させてもらった自信はある。



30人いた同期の中でも販売実績台数は2位。

 

法人だけの販売台数で見ると
ダントツで1位の実績。



飛び込み訪問だけで、
社用車を売ったのは僕のみ。



それは法人が多い
神戸という土地柄もある。



自分でも自信を持って言えるが
かなり営業マンとしては優秀だった。



さすが県内1位を争う店舗。
店長や先輩方も全員凄すぎるスキルの高さ。



それを経験できたのはなによりも財産。



少しではあるが
高いモノを売るスキルは身についた。



車ってそんなに簡単に売れるものなのか
と勘違いした時期もあった。



ただ、同時に燃え尽きた。



自分のノルマは達成しても
店のノルマを達成しないと
常に怒られ、殴られる。


褒められることなんて、まずない。



ついに、


「もう辞めたいです…」


と店長に相談。


すると、

「あと、2年もすれば
 お前は年収1000万円は稼げる!
 だから、投げ出すな」



正直、お金ではない。
年収1000万円って凄いのか?

逆に
この労働で、この対価ならば安くないか?



そんなことを思うようになり、
1年で退社を決意。


根性がないのは自分でも理解している。


そして、今でも覚えてる。
その最終出勤日に店長が僕に言った言葉。


「お前ケツ割るんやな。
 お前みたいな奴はどこの会社行っても
 成功できない。人生の負け組に成り下がれ!」




それを言われた瞬間、泣いた。
そんな店長でも少し尊敬はしていた。


こいつの前だけでは最後は絶対に泣かないと
決めていたけど、
想定外の言葉過ぎて悔し涙が出た。



最後ぐらい今までの分として
殴り返してやろうか!!と気持ちを押し殺した。



でも、
今思えばあの言葉がなかったら
絶対に今の自分はなかった。



自分自身やモノを売る営業スキルは
間違いなく本物だった。




最初の僕の原点。




今まで
たくさんのバイトも含めて働いてきたが
間違いなく成長できたのは
この会社のみ。


でも、
たくさん泣いたのもこの会社のみ。



こんな脱サラパーソナルトレーナーもいる。


#次は暗黒の外資ホテル編