本当に感謝するべき人は?



『年金破綻』
『老後2,000万円問題』


そのような問題の頃から、


「貰えないのになぜ払うのか?」
「私はもう年金を払いたくない!」
「何のために毎月払ってるのか?」


そのように嘆く人も少なくない。


もちろん自分たちが納めてる税金である以上は
さまざまな考え方はあってよいと思う。



ただ、そこに対して
損得勘定やお金を中心に考えすぎると
心が荒んでいく。


この損得勘定で物事を捉えることは若い人に多い。



なぜこの話題かというと、

クライアントである大学生の女の子と
年金について話した。

その話のきっかけは、
「将来返ってこない年金は払いたくない…」




正直、
今まで僕自身は年金を払うことに一切抵抗はなかったので、「払いたくない!」とも思ってないし、
毎月しっかり払ってる。


そもそも
年金を「老後に返ってくるお金」として
見ておらず、「先人達へのお礼金」として考えていた。



身近で言えば、
うちの祖父や親戚のおじちゃん、おばちゃん、
これまでお世話になった方。

そして、
最近ではいつもゴミ拾いのボランティアで
神戸の街を綺麗にしてくれる
おじいちゃん、おばあちゃんたち。




年金を支払う感覚は
決して綺麗事ではなく、
僕に関わってきたきた方への『礼金』



確かに社会構造に文句を言いたくなる気持ちも分かるが、過去はもっともっと酷かったと思う。



今よりも日本は貧乏だったし、
労働基準法もない、
ネットも普及していない、


もし50年前とか戻れと言われても
僕は絶望して生きていけないと思う。


そんな日本を先人がここまで引っ張り上げてくれた現実はある。


大変だったはず。


その先人達の苦労の上にあぐらをかくように、
老害と罵倒したり、感謝もせず、
当たり前のように文句。

だから、年金に対しても
「見返り前提」として考えてしまう。



もちろん払った分返ってくるというのが
年金のシステムだから、見返りを求める気持ちは分かる。


「予定と違うやん!」


見返り前提ではなく、
年金そのものが感謝の上に成り立つものと
思考を変えるだけでも気分は変わるのでは?


支援金や義援金などは、
自分の意志で寄付するものだけれど、
年金は自分の意志ではなく
『強制的に回収される』と思っているから
納得しなくなるもの。



「先人のために、自分の意志で払ってる!」
そう思えば、心理的には義援金と同じ感覚。


強制的か、自主的か、
その意識を変えるだけでも、
気持ちも行動も全然変わる。


ダイエットもそうだけれど
やらされてる感でやったとしても
いつかストレスが溜まり、爆発する。



「見返りもないのに…」
と思って支払う年金は、ただ苦で終わる。



意識を変えるだけで、お金の意味が変わる。


お金の正体を固形物として捉えるから損しか
感じない。



ただただ、感謝を込めて払うだけでいいじゃない?
って個人的に思う。



周りはどんな想いなのか分からないけれど、
僕は年金を払うことに対して
疑念を感じたことは一度もない。



将来、別に貰えなくてもよい。
貰えればラッキーなぐらいな考え。


知らない高齢者に払ってる感覚よりも
身近にいる祖父や関係してきた人に払ってる感覚。



その『感謝』が『お金』という形に変わっただけ。






そのように
年金を払う現実は変わらなくても
年金を払う思考を変えることで
お金の意味が変わることを
今日、大学生に話した。




そして、凄く共感してくれた。




本当に人のために使ったお金ならば
いつかしっかり手元に戻ってくるよ!




それが循環というもの。




#感謝=お金
#年金は礼金