誰しもが 
小さい頃から
“やり続けること“はしている。



赤ちゃんの頃は
お腹が減ったとか、オムツが気持ち悪いなどの
意思表示で

誰かに気づいてほしいから泣く。
気づくまで泣き続ける。



立ちたい!歩きたい!と
思ってるから何度も絡んでも

つかまり立ちと伝い歩きたいを
やり続ける。



自転車に乗りたい!から
何度転んでも
乗れるまで自転車の練習をする。



将来の夢や目標のために
行きたい学校に入学できるように 
受験勉強をする。




小さい頃から
人は“やり続ける“が自然と身についてる。



「もうミルクいらないから泣くのやめる!」

「もう立ちたくないからつかまり立ち放棄します!」
「自転車乗れなくて良いから練習諦めるわ!」




その感情や思考ってあまりない。




だけど、
不思議と歳を積み重ねていくと

“諦める“
“やり続ける“
“やめる“

そのような思考も行動も増えてくる。



もちろん賢明な判断や
やり続けない方が良い場合もあるので

それは本人が満足できる決断ならば
その選択肢が悪いと言う訳でもない。



この場合は
本人が“後悔する場合“によるもの。




少し話はそれるが、


フィギュアスケートの羽生結弦選手が
北京オリンピックの競技後に

「報われない努力だったかもしれないです」

とコメントしたが、

これは諦めずに
やり続けた人だからでる言葉だと思った。



努力=結果
というものではない。


コンテストやスポーツをしてると
努力しても1番を決める大会があれば
ほとんどの人が結果として結びつかない。


100人いても99人は
1番と結果にはならない。



それらを経験すると
“報われない努力“を共感しやすいはず。





○諦めて愚痴を言う
○やり続けなくて自分を責める
○すぐにやめて結果が出ない


“どこでやり続けることを置いてきたのか“


それとも置いてきたのではなく、
“ラク“や“自己否定“などを
新しく身につけてしまったのか。





どうせやるならば
どうせ結論が出ることならば

99%の
“報われない努力でした“と
言い切れるところまでやりたい。


もちろん
1%の
“努力は報われました“と
言い終われるところを目指すけれども。



なにをやるにしても
“99%か1%“の
どちらかを目指すようにはしている。



やり続ける努力を遮るような
“ラク“や“自己否定“、
“環境“や“人間関係“は一切身につけない。




成功にしても失敗にしても
まずはやり続けて
自分の中の結果を出していくこと。




年齢と環境は言い訳にしない。
むしろ、それがモチベーションになることが多い。




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